渋谷円山町という「花街」の伝統を知る円山芸者の瓢屋小糸さんと喜利家鈴子さんに聞く、渋谷の街の賑わいと夜の景色
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渋谷円山町という「花街」の伝統を知る円山芸者の瓢屋小糸さんと喜利家鈴子さんに聞く、渋谷の街の賑わいと夜の景色

再開発が進む渋谷・道玄坂のそばにある円山町。大正から戦後にかけて、かつて花街が存在したことをご存知ですか?いまではクラブやライブハウスなどが立ち並ぶそこには、「円山芸者」と呼ばれる芸者さんたちが多数在籍していました。 

時代の変遷や街の再開発が進むとともに、花街文化も小さくなり、現在では、円山芸者は4名で活動中だそうです。 

今回はそんな円山芸者の一人であり、94歳を迎えてなお現役の芸者・瓢屋小糸(ひさごや こいと)さんと、現在の円山芸者を切り盛りしている喜利家鈴子(きりや すずこ)さんに、花街文化と渋谷の街の関係について伺います。 

長年、芸者として渋谷を見てきたお二人が感じる、街の魅力や円山芸者のこれからとは? 

瓢屋 小糸 Koito Hisagoya
喜利家 鈴子 Kiriya Suzuko
芸者

現在は4名で活動中。円山芸者の歴史といま。

―普段、お二人がお座敷に立たれている「料亭三長」は、旧花街の風情を感じるすてきな場所ですね。

鈴子:いまの建物は戦後再建されたものですが、築70年近くになります。大正から昭和にかけて、円山町のあたりが花街として栄えていた当時の建物としては、ここが唯一残っているんじゃないですかね。 

喜利家鈴子(きりや すずこ)

喜利家鈴子(きりや すずこ)さん

―円山町は、花街として元々はどれくらい賑わっていたのでしょうか?

小糸:花柳界が戦後で一番盛り上がっていたと感じたのは、昭和30年ぐらいの高度成長期。当時は、料亭を仕事の取引の場として利用する人が多かったんです。だから芸者さんはお座敷からお座敷へ引っ張りだこで、夜中の1、2時まで駆けずり回っていました。

瓢屋小糸(ひさごや こいと)さん

瓢屋小糸(ひさごや こいと)さん

鈴子: 当時は、こういった料亭が100軒くらいあったと聞いています。私が芸者をはじめた40年ほど前には、もう2、30軒しかなかったんですけど、それでもいまと比べれば多かったですね。とくにバブル期なんかは、会社がお金を羽振りよく使えた時代。毎日のように宴会がありましたから、芸者も10、20人とかで稼働していましたね。

料亭三長外観
料亭三長内観

100年以上の歴史がある料亭 三長

―円山芸者は、現在4名と伺いました。若い方のなり手は少ないのでしょうか?

鈴子:いまは上がれるお座敷も少なくなったので、芸者の数もだいぶ減りました。若いなり手も最近では少ないですね。若手を育てるにも、着物代にお稽古代などお金がかかる。芸者が所属する場所のことを「置屋(おきや)」というのですが、いまは置屋さんが借金をしてまで若手の面倒を見ることが難しくなっているんです。 

円山芸者のなかには、若い子もいますが、やはり芸者の仕事だけでは生活できないので、掛け持ちでバイトもしています。やりがいに比べて、リスクが大きいと思う方も多いみたいですね。

いまが一番しあわせ。そう思える二人の芸者人生とは?

―小糸さんはどんなきっかけでこの世界に入られたのでしょう? 

小糸:20歳のころに憧れて入りましたね。生まれが目黒なのですが、東急目蒲線(現在は廃線)の西小山に花柳界があったの。だから、花柳界のことはよくそばで見て知っていて、そのままお稽古にも通いました。 

はじめは五反田の方で芸者をしていたのですが、そこからしばらくして、円山町にきたのは50年近く前になりますね。 

―鈴子さんはもとから円山町ではじめたのでしょうか? 

鈴子:はい。親戚がここで置屋をしていたんです。遊びにきた流れでちょっとだけ手伝っていたら、そのまま40年近くが経っていました。 

当時は、踊りを2か所、小唄、三味線、つづみに太鼓と6つくらいお稽古に通っていて、さらにお座敷の予定もたくさん入ってしまい、忙しくて逃げられなくなっちゃって(笑) 

―そんなにたくさんのお稽古が必要なんですね。 

鈴子:「見番(けんばん)」という置屋の組合があって、そこで演芸の試験があるんです。それに受からないと、その土地では「演芸芸者」として認めてもらえない、というしきたりがちゃんとあります。三味線の人は、弾くだけじゃなく、歌いながら弾けないといけない。単なる音じゃなくて、「音色」を奏でられるようにならないといけない。本当に大変難しい(笑)です。 

でも、演芸芸者は、芸妓とは見番に掛けられている木札の柄も違って、玉代(ご祝儀代)も高いし、ある程度のお座敷の回り方も融通が利く。収入がちょっと違うという感じですね。 

―それは知りませんでした。稽古はたのしかったですか? 

鈴子:たのしいというより、夢中だったんだと思います。お金をいただいている以上は、プロとしてよいパフォーマンスをしないといけないから。 

それに、会話やサービスもしなきゃいけないし、お酒も飲まなきゃいけない。芸だけじゃなくて、コミュニケーション力やオールマイティーにこなすことを求められる部分がありますよね。 

傘を持つ喜利家鈴子(きりや すずこ)さんと三味線を持つ瓢屋小糸(ひさごや こいと)さん

瓢屋小糸(ひさごや こいと)さんが奏でる三味線は、一音一音の響きが強く、独特の緊張感と余韻が感じられる。室内で響き渡る音も芸者の三味線の特徴。

―お客さんは常連さんが多いのでしょうか?

鈴子:そうですね。たのしんでいただくために、一見さんはまず紹介でお越しいただき、お店のシステムやルールを知っていただくことからお願いしています。 

たとえば、今日のお着物の帯は紫陽花の柄なんですよ。
ちょうど梅雨の時期ですからね。芸者は最低でも12着の着物を持っていなくてはダメで、季節ごとに変わるんです。そういうところに気づけるお客さまも素敵ですよね。 

こうした料亭は間口が狭いので、その分、新規の客足が遠のくというデメリットがあるのですが、間口が狭いからこそ「よりいい体験を提供したい」という思いが生まれ、演芸芸者のメンバーは質の高いパフォーマンスができるというプラスの面もあります。  

だからお客さまには、演芸をたのしんでもらいながら、お酒を飲んで大人の会話をたのしんでいただきたいですね。 

―お座敷のコミュニケーションといえば、「お座敷遊び」のイメージもありますね。 

鈴子:じゃんけんのような「トラトラ」や、昔でいうと「野球拳」なども座敷遊びの一種ですね。「投扇興(とうせんきょう)」も有名かもしれません。お客さんが飽きないように、お店オリジナルの遊びなども用意しています。 

遊びがあることで、お客さまが気軽にたのしめる雰囲気をつくっています。普段真面目に働いている人や上下関係がしっかりしている会社員の方々がリラックスするために、いろんな遊びがあるんです。 

会社の宴会でお越しになったお客さまも、お座敷遊びの場では上司・部下関係なく、負けたら罰ゲームをしてもらいます。いわゆる「無礼講」というやつですね。「この場ではみんな平等にしましょう」みたいな。お座敷は、いい意味で日本人らしいコミュニケーションができる場だと思いますね。 

―小糸さんは、現在もよくお座敷に上がられているんですか? 

小糸:お呼ばれされれば伺います。お座敷はいまでもたのしいですよ。だから、生まれてからいまが一番しあわせですね。赤ちゃんのときは覚えてないですけどね(笑) 

芸者って、こんないい商売ないと思うんです。こんないいおべべを着せてもらって、お座敷に呼ばれて、たのしくお話しできる。ちょっと変な話だけど、お酒もただでいただけるなんて、お宝をもらっている気分。生まれ変わってもまた芸者になりたいですね。 

いまも昔も変わらない、「渋谷らしい」花街のかたち

―これまで渋谷で芸者をやってきて、この街はどう変化してきたと思いますか? 

鈴子:渋谷の街は全部変わりましたね。円山町は当時、みんな料亭さんだったんです。でも、後継者不足の問題などもあり、結局売ってしまったところが多い。 

ここが花街として栄えていたころは、船の板を焼いてつくった黒板塀のお家が結構あって、当時としてはそれが粋だったみたいです。黒板塀の前に黒いハイヤーが止まって、その前を赤い着物のお姉さんがちょろちょろと歩いている。そんなシックな風景が広がっていました。 

―その当時、渋谷・円山町の花街エリアは、ほかとどんな違いがあったのでしょうか? 

鈴子:お参りしたあとにちょっと遊べるように、昔から地域に根付いたお寺がある場所には、必ず花柳界ができるという特徴があるので、もとは円山町も同じようにできた花街です。 

ただ、渋谷は電鉄さんとの関係も深い街。東急さんが日本の文化を継承することを目的に、東横劇場をつくったり、芸者が踊れる場をつくってくださったり、花街文化も街の変化に大いに影響を受けています。 

また、当時はこの辺に練兵場があったそうで、兵隊さんが遊べる場としても円山町の花街は栄えていったそうです。 

小糸:いまの神泉駅の近くに「弘法湯」っていうお風呂屋さんがあってね。その横に料理旅館「神泉館」ができたことが、円山町の花街のはじまりだとも聞いています。 

当時の弘法湯

当時の弘法湯

鈴子:あとは、客層にも違いがあるかもしれません。東京都台東区にある柳橋の花街は、落語家など著名人や、問屋の大旦那など、個人オーナーのお客さんが多かった。一方、円山町は会社員の方々が多かったそうで、くらべると使うお金の桁がひとつ違ったとか。 

でも、ここはこぢんまりしているからこそいいと思うの。一次会の宴会で疲れたあとに、二次会でちょこっとだけ遊べる気軽さがある。まさに渋谷という街らしい味や色があっていいんじゃないですかね。 

―「気軽に来てたのしめる」という雰囲気はいまの渋谷にも通じるものがありますね。 

鈴子:そうですね。再開発が進んでビルが増えていくと同時に、街の治安もどんどんよくなっているのを感じます。 

花街と聞くとよくないイメージを持たれる方もいらっしゃると思いますが、この「料亭三長」の屋敷も、少しでも多くの芸者さんやお客さんが集まれる場所になればと、三代目の高橋千善さんが一生懸命きれいにしてくださいました。 

小糸:花柳界には「悪女が多い」など、世の中には誤解してらっしゃる人が多いと思うんです。でも、芸者はお客さまの秘密を漏らすようなことは決してしないですし、私たちも古典の歌舞音曲というものをお聞かせできればと思い、日夜稽古にお座敷にと励んでおりますので、そのイメージは変わってほしいですね。 

―渋谷の街の進化とともに、円山芸者もこれからまた盛り上げていきたいですね。 

鈴子:積極的に人集めや集客をする感じでもないのですが、「料亭三長」だけでも残していきたいので、少しずつでも芸者さんが稼働しやすい状態にしていければうれしいです。 

小糸:お稽古には若い人も来てくれているのが嬉しいですね。私は過去の話よりも未来の話が好きだから、もっとこれからのことを考えていきたいですね。 

喜利家鈴子(きりや すずこ)さんと瓢屋小糸(ひさごや こいと)さん